甲府中央商店街その1「甲府銀座通り商店街・仲見世」(山梨県甲府市)

山梨で用事があったので甲府の町に寄ってみました。甲府と言えば武田信玄で知られる武田家の城下町。街のあちこちに信玄の銅像が立ち、武田家の家紋が誇らしく光っています。そんな誇り高き甲府の町も、中心嫌い地は全国に数多ある地方都市と同じく激しく衰退しています。ただ、甲府の場合ちょっと違うのが、この衰退の原因のひとつに商店街自身があったのではないかという主張が根強いことです。

夜の甲府銀座通り商店街。このアーケードは飲み屋街ではないので夜は閑散としている。

どういうことかと言うと、中心街の商店主で構成された甲府商店街連盟が既得権益を守ろうとするあまりに、長年大資本やよそ者・新参者を排除してきたせいで街から魅力が失われてしまったというわけです。この主張はネット掲示板でも「まとめ」文章が出回るなど、一部ではかなり有名な話でした。実際甲府では1960年ごろから地元商店街vs県外資本や大規模店との長い戦いの歴史があり、いわゆる新しいタイプの店がなかなか進出できなかったのは事実で、地元民(とくに若者)にとってはそこが不満の種でもあったようです。甲府の老舗百貨店として知られる岡島百貨店さえ、地元商店街にとっては敵とみなされ増床を反対されたほど、老舗地元店vs新参者の争いは長年にわたって話題を提供していました。そんな背景から生まれた「甲府商店街連盟元凶論」ですが、もちろんネット上にあるこの手の怪文書的なものは選挙と一緒で出所や真偽不明であり、簡単に片方だけの主張を信じてはいけないのは確かです。

西端の春日あべにゅう側から見た甲府銀座通り商店街。


じっさいこのような地元店vs新参者という話は日本の地方都市ならどこにでも「よくある話」であり、巨大ショッピングセンターや新規出店者に対して地元老舗が反対するのは自然とも言えます。それに、もし商店街連盟が反対していなかったとしたら現在の中心市街地の衰退が防げたのか?というと、それもまた疑問です。
しかし、一方で今まで甲府中心街に起こった数々の出来事と照らし合わせてみると(※興味がある方は、wikipediaで「甲府中央商店街」を検索してください)この主張にも頷ける部分があるように思えます。

しかしまあ、そんな過去の話はどうでもいいこと。大事なのは今はどうなのか?ってことですが、実際久しぶりに歩いてみるとやはり残念なほどに寂れていました。おそらく前回は十年ぐらい前に訪れたのですが、その頃は西側に延びる「春日あべにゅう」は長い片側式アーケードがかかっていたのに、きれいさっぱりなくなっています。2022年に撤去されてしまったそうで、まるで長髪の人が坊主頭に散髪した直後みたいにスースーしています。

以前は片側式のアーケードがあった「春日あべにゅう」。訪れたときは整備工事中でした。

商店街の中心となる全蓋式アーケード「甲府銀座通り商店街」は一応そのままでしたが、広くてきれいな分だけ閑散とした雰囲気が漂っています。比較的新しくてきれいなのはいいんですが、アーケードや店舗などが中途半端に現代風で、かえってどこか冷たい雰囲気を感じてしまいます。こちらの甲府銀座通り商店街の特徴は布のようなペラペラした素材(おそらく樹脂素材)のアーチ屋根なんですが、それ以外にはとくに特徴もなく、看板や照明などに工夫はなく、面白みは感じられません。そもそもここはなぜ樹脂製屋根にしたんでしょうね?費用が安かった?メンテがしやすい?それとも意匠の美しさかな?

珍しい樹脂素材?のアーチ屋根。何かロープのようなものが下がっているのは祭りやイベントで看板などを吊すため?


たとえば似た環境のアーケード街として群馬県前橋市の中心街がありますが、こちらはいい意味で昔のままの雰囲気が残ったまま寂れていてかえって少し味わい(エモさ?)があるんですが、甲府銀座通り商店街はレトロ感がありません。おそらく近年改修工事などをやったせいでこうなったのではないかと思いますが、それで逆に個性が感じられなくなってしまったのは残念です。

すっきりして清潔感があるのはいいんだけど、なんだかよそよそしい甲府銀座通り商店街

甲府銀座通り商店街で唯一お客の姿がちらほら見えるのが、中央あたりにある「銀座富士アイス」さん。よく古い街にある庶民的な甘味店で、店頭で売っている「志″まんやき」(※「志」に濁点で「ぢ」と読む。大判焼き・今川焼きのこと)を買いにコンスタントにお客さんが立ち寄っています。見た目はそれほど古くない店構えですが、なんと昭和初期からやっているそうで、私も黒あんとカスタードを買いこんで歩きながら食べてみました。軽食もやっておられるので、もう少し早い時間ならラーメンかカツ丼を頼んだのですが…。ちなみにこちらの富士アイスさんは、長野や山梨を中心に何店舗かを出しておられるローカルチェーン店で、ここが「銀座通り」だから銀座富士アイスさんなのですね。上田(長野)にもあるそうで、そういえば以前上田に行ったときも商店街を歩いていて「志″まんやき」を食べたのをあとで思い出しました。よく考えてみるとあの店も富士アイスさんでした。甲府のこの店と姉妹店だったわけですね。それにしても、どこへ行っても同じ行動をしている自分にあきれて苦笑いが出てしまいます。

「志″まん焼き」と軽食の銀座富士アイスさん


甲府銀座通り商店街でひとつうれしかったのが、春光堂書店さんが健在だったこと。こちらの春光堂さんは本好きには結構有名な書店さんでして、甲府という地方都市にありながら本好きのためのイベントや企画などを精力的にされておられる書店さんなのです。出版業界が斜陽化している現在でも出版文化を残そうとがんばっておられるので、出版業界にお世話になっている身としては足を向けて寝られません。地方の商店街の書店がことごとく消滅しているこの時代に、なんとか今後ともがんばっていただきたいです。

本好きには知られた甲府の老舗書店・春光堂さん

ところでこちらの甲府銀座通り商店街には「銀座江戸家」さんという「ほうとう」などの郷土料理が食べられる老舗食事処があるのですが、その前にひそかにキティちゃんがたたずんでいたのを見て思わず吹き出してしまいました。……というのも、じつは以前この商店街で「ハローキティ神社事件」という珍事件(※ハローキティの作者が甲府出身であることから商店街に「ハローキティ神社」を作ったところ、著作権の許可を得ていなかったため、開設後たった二日で撤去されたという珍事件)があったのです。全国ニュースでも放映され、日本中から笑いものにされてしまったキティちゃんが、こんなところで寂しそうにひっそり立っていたのか!と思うとおかしかったのです。ちなみに現在では甲府駅の北にある武田神社にもキティちゃんの石像があるそうですよ。

江戸家さんの軒先でひっそり立っていたキティちゃん

しかし正直言って、甲府銀座通り商店街はレトロマニアにはそれほど魅力があるところではありません。それよりも本当の魅力は商店街の途中から入ったところにある「仲見世」という路地にあります。ビルとビルの間にある細い路地ですが、ここにはまるで昭和の高度成長期にタイムスリップしたような別世界が広がっているのです。

甲府銀座通り商店街の途中にいきなり開ける異空間「仲見世」への入口。


こちらも一応全蓋式アーケードというか、ビルの谷間を屋根で覆っただけというか、単なるビルのすき間なのかよくわかりませんが、路地には屋根がかかり、古い看板が残っていて、レトロな雰囲気は満点です。通りは途中で「L」型に90度曲がって他の通りに通じていますが、曲がった部分は袋小路みたいな不思議な空間が広がっています。

この路地にはかつて洋品店が集まっていたそうで、その面影がわずかに残る

じつはこの仲見世という路地(横丁)は大正末期ごろに誕生した商店街で、当時は洋品店や呉服店、文具店、玩具店など生活用品の店が多く集まっていたそうです。残念ながら現在では営業している店は少ないと思われますが、閉まったシャッターの上にかかっている古い看板には洋品店の看板がいくつか残っていて、当時の様子が感じられます。今は「L」型の部分しか道が残っていませんが、当時は「T」型に路地が三方に延びていて、その中心部(異空間みたいな袋小路広場のあたり)に中央館という映画館があったといいます。大正14年にできた中央館は、当時それはそれは立派できらびやかな建物だったそうで、たくさんの人々が訪れたとか。まだテレビなんてものがない時代で、やっと電灯が導入された頃です。当時はきっと時代の最先端だったに違いありません。そして路地奥の袋小路的な空間は、映画館前の小さな広場だったようです。

仲見世の奥には不思議な空間が広がっていた。この正面あたりに映画館があったという。左端のパブの看板が面白すぎる。
あちこち痛みが激しい仲見世。そう遠くないいつかには取り壊されてしまうことが確実。

昭和20年には甲府大空襲がありこの仲見世もほとんど焼け落ちてしまったといいますが、その後みごとに復興を果たし今静かに余生を送っているわけです。さすがに今建っている建物はその頃のままではないはずですが、鉄筋造りの様子から見るとおそらく最初の東京オリンピック(1964年)前後に作られたのではないかと勝手に推察します。きっと戦後すぐはバラック建てのような簡素な建物で営業を再開し、どこかのタイミングでこのビルにまとめられたのではないでしょうか。甲府銀座通り商店街とは反対側の桜町通り側から出ると、なんと立派な鉄製アーチ看板を発見! こんな立派な看板、当時としてはかなり豪華だったはず。今では営業していない(と思われる)風俗店の看板も含めて世界遺産ものですよ。もう当時のことを想像するだけでワクワクしてしまいます。

仲見世の桜町通り側入口には立派な鉄製のアーチ看板が残っている。当時は甲府随一のおしゃれなスポットだったはず。
仲見世の桜町通り側入口の向かいには、復活した「桜座」がライブハウスとして残っている。

ところで仲見世の桜町通り側出口を出た道向かいに、ライブハウスの「桜座」があります。じつはこの桜座は明治時代には芝居小屋として栄え、大正時代には甲府でいちばん早く活動写真(映画の前身)を上映した桜座という小屋を復活させたものだとか(場所は違うところにあったそう)。ユニークなお座敷ライブと音の良さで、マニアからは非常に高い評価を受けているそうです。なんと、私が昔好きだったミュージシャンも定期的にライブをしていることがわかったので、是非次回訪れてみるつもりです。

武田家の家紋「武田菱」が誇らしげに輝く片側式アーケード

さて、桜座のあたりで目に入るのは、そのあたりの広い区画を取り囲むように続いている片側式アーケードです。このあたりは「ダイヤコリド名店街」と呼ばれていて(一部は「かすがもーる」にも入るらしい)、今となっては地味な古い片側式アーケードですが、こちらのすごいところはアーケードのあちこちに武田家の家紋「武田菱」があしらわれているんですよ! なんと照明までもが武田菱型という凝りようです。

なんとアーケードの照明まで「武田菱」!

メンテがされていないのでかなり劣化していますが、日本全国でも家紋があしらわれたアーケードなんてここだけじゃないでしょうか?(※未確認ですが)さすが誇り高き甲府です。しかし甲府レトロの見どころはそれだけではありません。ここからが本番です(続きはこちら)。

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