町はずれにポツンと残る
甲府の中心街は甲府駅の南口側にあるのでそちら方面ばかりを散策していましたが、じつは甲府駅北側にもレトロな横丁があります。それも繁華街から少しはずれた住宅地にぽつんと残っています。それが甲府「新天街」です。
こちらはとても有名なレトロ横丁で、レトロマニアのブログなんかには必ずといっていいほど訪れた記事があるほどです。私もそれらを読んでぜひ訪れてみたいと思っていたのですが今回ようやくその夢が叶いました。県道6号甲府韮崎線という交通量が多い幹線道路に面しています。
ゲートをくぐると昼間なので薄暗いですが、何軒かの店がまだ営業している様子がうかがえます。しかし、それ以外はほとんど廃墟と言ってもおかしくない状況です。建物の古さや配電盤の様子からすると、できたのは東京オリンピックあたりか、それより少し前ごろではないでしょうか?
ところで周囲が歓楽街でもないところに、なんでポツンとレトロな飲み屋横丁があるのか? そこがとても疑問になるのですが、色々調べてみたんですが確かなことはわかりません。ただこの新天街の目の前には「朝日通り商店街」があります。この商店街は今でこそ静かですが、かつては多くの人々で賑わい、休日などもあふれるほどの人出があったといいます。それを裏付けるようにTHE BOOMの「星のラブレター」という曲にも、この朝日通り商店街が登場するそうです。新天街はこの「朝日通り商店街」のどん詰まりですから、飲み屋街があっても全くおかしくありません(※たいていの飲み屋街は、商店街に隣接していたり商店街の裏路地にあたる場所にあることが多い)。
またこの新天街の北側にはかつて陸軍の兵舎があり、昭和初期まではたくさんの兵隊さんが働いていたという事実(近所には青線なども存在していた)。また戦後陸軍がなくなってからは山梨大学や病院などができて、これまた学生から職員までたくさんの人の流れがあったこと。さらに近所には山梨県立甲府第一高等学校という江戸時代に起源を持つ歴史ある進学校があることなどからも、このあたりが甲府の文化の中心地として栄えていたことがうかがえます。そんな場所ですから、かつては飲み屋横丁があっても全然おかしくない場所だったのだと思います。
また、甲府の街は1945年に大空襲があり、甲府市内は丸焼け。この近所にある山梨県立甲府第一高等学校なども一部消失したそうですから、この辺もかなり被災したと思われます。「新店街」という名前は、空襲でそのあたりの飲み屋が全部焼けてしまって、そこから復興するために元の店が集まって再スタートしたことからついた名前ではないだろうか?と勝手に想像しています。
新天街周囲のかつての賑わいを探すために少し周囲を散策してみました。するとまず気がついたのが近所に旅館が二軒ほどあったこと。旅館があるというのは、やはりこのあたりがビジネスで栄えていたことの証拠です。また、今では何ということが裏通りでも古い商店などがちらほら目に入ります。ということは、かつてはもっと店があったということ。さらにとんでもないものを発見しました!
それがあるのはある本屋さんだった(と思われる)建物。こちらの店頭に貴重な雑誌の自販機が四台も並んでいます。裏路地などで人目を忍んで成人向け雑誌が売られている姿は見たことがありますが、この自販機は週刊明星やプレイボーイなど普通の若者向け雑誌。おそらく1980年代ではないでしょうか? 私も長年出版業界に携わっています、成人向けではない普通の雑誌の自販機を見たのは初めてです。このことからも、かつてはこのあたりに人通りが多く、かなり栄えていたのだと想像できます。
残念ながら今回は昼間だったため新天街の店で飲むことができなかったのですが、次回は夜に訪れてみたいです。それにしても、あらためて惚れ直したレトロの宝庫・甲府。探せばきっとまだまだレトロがありそうなので、次回はもっと時間をとってじっくり散策してみようと画策しています。