清水その1「清水銀座商店街」(静岡県静岡市)

貴重な防火建築の遺構が残る

2024年の清水銀座商店街

10年ぶりぐらいに清水の町を訪れました。まず真っ先に驚いたのが、ここが静岡市になっていたこと。以前来たときは清水市だったというのに、静岡市に合併吸収されてしまったとは、清水の昔の繁栄を知る者としては衝撃的です。こうなると清水を舞台にした「ちびまるこちゃん」の登場人物のセリフも「静岡市」に変えないといけない部分がいくつもあるのではないかと勝手に心配しています。

そんな清水の中心市街地には大きく分けると二つの商店街があります。ひとつはJR清水駅前から続く全蓋式のアーケード商店街「清水駅前銀座商店街」。そしてもうひとつが「清水銀座商店街」で、こちらは清水駅前銀座商店街を通り抜けたその先にあり、旧東海道の宿場本陣があった場所になります。この二つの商店街は名前がよく似ているので混同しがちなんですが、地元では「駅前銀座」と「清水銀座」などと呼び分けられているようです(※また、清水銀座と駅前銀座の間の部分を「中央銀座商店街」と呼ぶそうですが、地元の人以外にはほとんど知られていないので省略)。近年では駅前銀座にくらべて清水銀座はかなり寂れてしまいましたが、元々清水の中心地として栄えていたのは宿場(江尻宿)の本陣があったこの清水銀座商店街あたりで、それがのちに鉄道と駅ができて次第に駅前銀座の方に賑わいが移ってしまったというわけです。まずはこちらの「清水銀座」から歩きはじめます。

二階以上が歩道に張り出した有階アーケードの片鱗が一部残っている

さて、こちらの清水銀座商店街は建築マニアにとって垂涎の貴重な場所なのです。というのもこちらには商店街のアーケードとして珍しい「有階アーケード」の名残が残っている(重複表現!)のです。この有階アーケードというのは、一般的なアーケードが通りや歩道部分に屋根をかける代わりに、建物の二階部分がせり出していて、二階自体が歩道の屋根代わりになっているスタイルのこと。一般的な商店街のアーケードは最初に通りと建物があって、あとから「屋根を付けましょう!」と決まって立派なアーケード商店街となる場合が多いようですが、有階アーケードの場合は先に二階部分を屋根とすることが決まっていて、それに合わせて建物を設計しなくてはなりません。同じひとつのビルなら話は早いでしょうが、違うビルが軒を連ねていると、当然各店舗の建物はそれぞれに所有者の事情や意見があるわけですから、その計画に合わせるためにかなりの議論・苦労があったのではないかと推察されます。現に清水銀座商店街を歩いてみると、微妙に二階部分の高さが違っていたり、建物ではなく屋根だけが張り出している建物も一部に残っています。きっと建物ができた順番などによって完全に合わせられない部分が出たのでしょう。

両側の建物がなくなってしまうと有階アーケードだった部分がひと目でわかる

そして「有階アーケード」とセットで必ず登場する言葉に「防火建築帯」「防災建築街区」という専門用語があります。これは簡単に説明すると、火事の延焼を防ぐ為の防火建物のこと。かつては日本も木造建築がほとんどで、どこかが火事になると延焼して付近一帯が全部焼けてしまうという問題がありました。そのため第二次大戦中の空襲でも、日本各地が甚大な被害を受けたこともご存じだと思います。そして清水も空襲で焼けた町のひとつだったのです。そのため戦後は火事に備えるために、燃えにくい鉄筋コンクリートのビルを要所に設けて、防火壁のように町を火災から守ろうという機運が高まっていたそうです。清水銀座商店街沿いの建物も、多くはその為に1969年頃に建てられたといいます。その主役となったのが清水銀座商店街の南端、東海道が直角に曲がっている地点に立つ「銀三ビル」です。こちらは文化庁の近代文化遺産を紹介するHPでも紹介されているほどで、この建物が商店街の顔だったと同時に、旧市街に建つ古い木造建築からの延焼を防ぐ防火壁としての使命を負っていたわけですね。

清水銀座の入口にそびえ立つ防火建築の銀三ビル。1969年竣工で丹下健三研究室出身の建築家が設計したらしい。

こんなすごい建物が建つ清水銀座商店街ですから、他にも色々な歴史的な話題があるに違いありません。しかし、商店街がかつてどのような姿だったのかなどをネットで調べてみても、参考になるような写真や資料があまりないのです。そもそもgoogleが「清水銀座商店街」と「清水駅前銀座商店街」を混同しているフシがあり、清水銀座で検索しているのに駅前銀座の記事ばかりがヒットするというありさま。またブログやwebマガジン等の記事でも清水銀座と駅前銀座を混同しているものが多数あり、ネット上では混沌とした状況になっているのが実情でした。

歩道の屋根部分には照明が埋め込まれている。
よく見ると高さが揃ってない部分も。通路の屋根部分には装飾などをつけたと思われる痕跡も残っている。七夕祭りのため?
珍しく歩道側にも柱が立っている古い建物。建った年代が古いので他に合わせられなかったと推測。

こちらの清水銀座商店街には2013年にも訪れているのですが、10年ぶりに歩いてみると、残念ながら建物がなくなって歯抜け状態が進行しています。せかっくの有階アーケードの統一感はだいぶ失われつつあるようです。しかし残っている建物を横から見ると、二階部分がせり出している独特な特徴が丸見えになっていて、それはそれでマニアにとっては非常に興味深い状況になっています。またもうひとつ面白いのが、建物横の側壁に直接店の名前を書いているところが何カ所かあったこと。普通なら看板という形になると思うのですが、おそらく防火建築に関する規制などがあってこうなったのだと思います。

ビルの横壁部分に店名が書かれている建物も目につく。フォントもレトロでいいですね。

ちなみに有階アーケードで有名な商店街としては沼津の「アーケード名店街」があり、こちらは各記事でも「有階アーケードの先駆け」となっています。清水も沼津と同じ静岡県内ですから、おそらく当時沼津にできた有階アーケードを参考にして取り入れたのかもしれません。しかし、その沼津の有階アーケードも再開発が決まり、2024年度から取り壊しが始まっているとのことですから、清水の有階アーケードの名残は全国的に見ても貴重な存在だと思われます。

ところで、以前歩いたときには昭和初期から続く「洋菓子喫茶 富士」という名物喫茶店があったのですが、跡形も無くなっていてショックを受けました。聞くところによると、ご主人が高齢(90歳!)になったことで引退し2021年にその歴史を終えたとのこと。「洋菓子喫茶」という珍しいスタイルがレトロでよかったのですが残念です。また、以前は商店街の中ほどに清水銀座には珍しい飲み屋路地「銀座小路」があったのですが、こちらもすっかり消えていました(※2019年あたりで看板撤去されたらしいです)。寂しいですね。

かつて清水銀座にあった名物喫茶店「富士」。2021年に閉店されたとのこと(2013年撮影)。
かつては清水銀座商店街の中ほどに飲み屋街の路地があった(2013年撮影)
ビルの薄暗いトンネルを抜けるとそこは飲み屋街だった(2013年撮影)
情緒あふれる路地もコロナ禍で歴史を終えたのだろうか(2013年撮影)

しかし、清水銀座商店街にはまだまだ魅力ある建物や店が残っています。私はそれほど建築マニアというわけではないんですが、それでも清水銀座商店街が他にはない独特の雰囲気を持っていることは確かです。また、建築家などを中心にこの商店街の今後や再開発に関して、さまざまな提言も出ているようです。一時は中止されていた七夕祭りも、2024年には再開して清水銀座にもたくさんの飾りが並んだといいます。今後もこの商店街がどう変わっていくか定期的に訪れてウオッチしていきたいと思っています。(→清水駅前銀座商店街につづく)

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  1. ピンバック: 沼津その1「アーケード名店街」 – ぶらぶら商店街ときどき百貨店

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