沼津その1「アーケード名店街」(静岡県沼津市)

解体される名建築商店街

入口の看板がなんとも言えない超絶レトロな雰囲気を漂わせていた

とうとう沼津の「アーケード名店街」の解体が2024年に始まるというニュースが飛び込んできました。沼津の町は何度も訪れている思い出深い町で、この「アーケード名店街」のほかに、仲見世商店街、新仲見世商店街(※2020年アーケード撤去済み)などレトロな商店街の宝庫とも言える場所でした。とくにこの「アーケード名店街」は昭和29年という戦後ほどなく立てられた由緒ある商店街で、建築学的にも「有階アーケード」と呼ばれる二階以上がせり出して一階店舗前歩道の屋根の代わりとなっている独特の形状が特徴でした(※ただしこの「有階アーケード」という単語は、静岡新聞さんが記事内で使っている以外はネット上でも存在が確認できないので不確かかもしれません)。これは静岡の清水銀座商店街のところでもご紹介したのですが、全国的にも珍しく名建築と呼ばれる存在なのです。

建物の二階以上が通路の屋根となっている

ちなみになんでそんな建築なのかというと、ここには日本の都市開発における戦後の「防火建築帯」「防災建築街区」という構想がからんできます。これは簡単に説明すると、火事の延焼を防ぐ為の防火建物のことです。当時は日本も木造建築がほとんどで、どこかが火事になると延焼して付近一帯が全部焼けてしまうという問題がありました。そのため第二次大戦のアメリカによる空襲でも、日本各地が甚大な被害を受けたこともご存じだと思います。沼津も軍需工場があったため空襲の対象となり、1945(昭和20)年7月17日の大空襲では町の約90%が壊滅したと言います。また戦前にも沼津の町は大火がたびたび起こっていて、そのため戦後は火災に備えるために、燃えにくい鉄筋コンクリートで防火建築帯を作ることが国から推奨され、沼津はその先駆けとも言える場所だったのです。

一階は商店街通路で、せり出した二階以上は住居スペースとなっていた
建物の角を丸くしたデザインも当時としては画期的!

そのため、日本でも先駆けとなる防火建築帯の商店街が完成すると、全国から視察に訪れたといいます。今でこそ鉄筋コンクリート建築はあたりまえですが、当時としては画期的な新建築によって誕生したアーケード名店街は、美観地区にも指定されたくさんの人々が訪れるようになります。中を通る二車線の道も、当時はまだモータリゼーションの始まるまだだいぶ前ですから、ずいぶんと広々とした道に感じたことでしょう。商店街中ほどには浜松を地盤とする松菱百貨店もオープンしたため、休日の賑わいは大変なものだったそうです。

バス停もなくなってしまうのかな?

しかしその賑わいも1950~1960年ごろまでで、少し離れた沼津駅前に西武百貨店をはじめいくつかの商業施設ができたことで人の流れは完全に沼津駅前へと変わってしまいました。そもそもアーケード名店街があったあたりは旧東海道の沼津宿があった場所で、江戸時代までは沼津の中心だったのです。そのため昔ながらの老舗が多かったわけですが、その後東海道線の沼津駅ができてそちらに賑わいが移ったのも当然だったと言えるでしょう。

営業している店舗の数は減ったものの、昔ながらの老舗ががんばっていた【2023年当時】
アーケード名店街開設当初から営業されているという老舗「アーケードフルーツ」さん。

かつては栄えたアーケード名店街も、近年ではほぼシャッター通りと化していて、営業している店舗は数えられるほどでした。訪れる客も長年の常連さんがちらほらといった状況で、当時の栄華はもはや全く残っていませんでした。あとはたまに訪れるのが私のようなもの好きなレトロマニアぐらいでしょうか。それでも訪れる度に店舗が減っているのを見て胸を痛めていたのです。

このあたりに昔は松菱百貨店があったという

そうなってしまうと老朽化した設備の更新や再開発で色々とモメるのは必須で、実際、建物には水漏れがあったり、一部の屋根、看板などは錆びついていつ崩れてもおかしくない状況でした。しかし、一軒一軒の建物が集まった商店街なら自分の店(家)だけを修理・立て直せばいいですが、このアーケード名店街は集合住宅的に規格を合わせて作られてしまったので、逆にそれが足かせとなって、個々の店がすき好きにリノベーションすることができません。まるで都会のマンションのような状況です。住民の合意がないと建替もできないのです。

もう全然タバコの姿は見えませんが、看板だけ

そういうわけで長年紆余曲折があったようですが、部外者には残念ながらよくわかりません。ただ、2022年に最終案として沼津市主導で街区ごとに5~10階程度の中層建物を建てる方式でまとまり、2024年から実際に解体工事がスタートすることになりました。そうなると、最近では逆にその消えゆく姿をひと目見ようと訪れる人が増えているのだとか。よくある話ではありますが、なくなることが決まるとたくさんの人が訪れるという、なんとも皮肉な話です。またひとつレトロな商店街が消えるのは悲しい限りですが、今後ここがどうなっていくのか見守りたいと思っています。【2023年6月撮影】

かつてはここにも「アーケード名店街」の看板がかかっていた
今やレトロな存在になってしまった電球式信号機も現役
アーケード周辺にあるトタン屋根の部分は劣化が激しかった
近年ではほぼシャッター通りと化していた
この看板が見られるのもあとわずか?
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