「日南の奇跡」を探しに
宮崎県の南端に近い油津(あぶらつ)商店街に寄ってみました。このサンプラージュ岩崎と油津一番街商店街から成る油津商店街は、ぜひ一度訪れてみたかった場所なのです。というのも、全国で商店街が衰退するなか、ここは寂れた商店街が復興した例のひとつとして全国でも注目を集め「日南の奇跡」とさえ呼ばれているのです。2017年には当時の安部総理が講演で、地方創生の好例としてこの商店街を自ら紹介したのだとか。
では全国の商店街がことごとく衰退するなか、なぜここは復興できたのかというと、ある「ユニークな試み」が原因となっています。それは商店街の活性化をマネージメントする人(テナントミックスサポートマネージャー)を外部から公募するというもの。月給90万円(経費込み)という話題性もあり全国から応募が殺到するなか、選ばれた青年の功績により「4年間で20店舗のテナント誘致」という目標を大幅に上回る成果を残し、商店街に人が戻り、IT企業なども誘致されて雇用も生まれたといいます。
この油津商店街のあたりは油津漁港を中心とした港町で、江戸時代には飫肥杉の積み出し港として栄え、大正~昭和初期にかけてはマグロ延縄漁業で「東洋一のマグロ基地」と言われていたといいます。当時の商店街も相当なにぎわいで、1965(昭和40)年頃には「油津銀天街」という名前のアーケードが誕生し、港百貨店(のちに山形屋になる)も誕生。映画館まであったそうで、休日にはたいへんな人出だったとか。
ところが全国の商店街衰退の例に漏れず、バブル崩壊と社会状況の変化によって次第に客足・店ともに減っていき、メインストリートの油津銀天街が短くなって「サンプラージュ岩崎(岩崎商店街)」と改名し、油津一番街(メインストリートからL型に山形屋のところまで延びるアーケード)とともに現在のアーケードになったのは1995(平成7)年のこと。もうそのころには手の施しようもなく、シャッター通り化するまでにそう時間はかからなかったようです。
さて、実際に商店街を歩いてみると、古い店こそあまり残っていませんが確かにちらほらと「今どき風」のユニークな店が目に入ります。おしゃれなカフェだったり、コンテナ型の店や食堂だったり、企業のオフィスだったり託児所だったり。その企業というのも、首都圏に本社があるようなIT企業だそうで、日南という町の規模から考えると(人口約5万人、宮崎県第5位)驚きの光景です。しかし実際のところ商店街の人出はそれほど多いわけでもなく、全体的にまだまだ寂れた雰囲気が漂っています。地元の人に言わせればこれでも以前よりは活気が戻ったのだそうですが。
しかしレトロ商店街マニアとしては少々物足りないのも確か。商店街の復興というと昔懐かしい雰囲気が再現されていることを期待していましたが、残念ながら方向がちょっと違うようです。復興というと人はついつい昔の姿に戻ることと考えてしまいがちですが、残念ながらそれはもう無理というもの。時代もライフスタイルも昔とは変わってしまったのだから、町も商店街もそれに合わせて変化をしていかなければなりません。その事実はこちらの復興に携わった方々も認識していて、時代にそぐわなくなった古い店には退場いただいて、その代わりに今どきの新しい店や企業を誘致するというのが復興コンセプトだったそうです。新しい形の町作りといったところでしょうか。
日南にIT企業が合うのか?という素朴な疑問も浮かびましたが、地元に新しい雇用をもたらしていることは確かなのですから、これからの世代のことを思うと有効な手段のひとつなのだろうなと思います。油津まで宮崎空港から1時間ぐらいかかるので、交通の便は大丈夫なのかと心配してしまいますが、リモートで働けるIT系なら問題はなさそうです。
そういえば江戸時代の徳川家康も、年を取って駿河(静岡)で隠居するにあたっては、江戸からたくさんの腕利き職人を連れて行ったといいます。よく考えればそれと同じことなのかもしれませんね。現に日南にも都会からの移住者が増えているそうで、行政の移住サポート等も充実しているそうです。住む人が増えてこそ、町も商店街も賑わうようになるのですから。
ところで日南市といえば広島カープの冬期キャンプ地としても知られていますが、私が訪れたのはキャンプ時期ではなかったため、カープの応援メッセージで盛り上がっている町の様子を見ることはできませんでした。しかし、あちこちにその片鱗は見ることができたので、キャンプ期間中は町も飲み屋なども相当賑わうのでしょうね。いつかキャンプ期間中に訪れてみたいと思っています。【2021年10月訪問】