繁栄の痕跡とカッパを探しに
最近旅をしていても「かつて繁栄していた場所」に妙に惹かれます。古い商店街とか遊郭跡とか、廃墟だとか軍艦島だとか…。そういう方多いんじゃないでしょうか。あれっていったいなんででしょうかね? ありきたりの観光地に飽きたというのもありますが、年を取ったせいかもしれません。年を取って知らず知らずのうちに自分の人生の悲哀と重ね合わせてしまうのでしょうか? まあなんだかよくわかりませんが、そんな過去の繁栄を探して鹿児島県の北西部にある薩摩川内市にやってきました。
この薩摩川内市のあたりはかつては薩摩国府が置かれ、このあたりの中心だったところです(平安時代頃まで?)。島津家が治めるようになってからも薩摩街道の宿場が置かれ、明治~大正時代までは川内川の舟運も発達して県内有数の交通の要衝として、旅館だけでなく劇場や料亭などもあって大変栄えていたといいます。昭和の戦後には大企業の工場なども相次いで建てられて就業者が増えると、国道三号の両側にはたくさんの商店が建ち並び「太平橋通り商店街」と呼ばれ、百貨店が二つも(山形屋とシマヤ百貨店)誕生したといいます。国道三号から入ったところにある堀田通りや向田本通りにも飲食店が集まって「堀田通り商店街」や「上町アーケード街」などを形成していました。また、太平橋のたもとの川沿いには映画館や夜の店も集まり、歓楽街としてのにぎわいは相当なものだったそうです。
しかし、平成に入るあたりからは車中心の生活や郊外型ショッピングセンターの台頭で、他の土地と同様に徐々に中心市街地から人と店が減っていきます。1988(昭和63)年には「若草映画館」が閉店。1997 (平成9)年にはついに「シマヤ百貨店」も閉店。国道三号沿いの太平橋通り商店街のアーケードも1999(平成11)年に「Gモール」としてリニューアルされましたが歯止めはかかりませんでした。
このアーケードは約500mも続いていて、地方のアーケードとしては相当立派だと思います。歩いてみると、国道三号沿いだけでなく交差する県道43のほうにまで延びていることがわかり、当時のにぎわいが相当だったことが想像できます。現在でも太平橋通り商店街にはまだまだたくさんの店が営業していますし、アーケードのスピーカーからは音楽が流れていますが(レトロポップ?)、やはり客足が閑散としているのは否めません。
ところで、この土地のもうひとつの名物が「かっぱ」です。そばを流れる川内川には「センデガラッパ」というカッパが住んでいて数々の伝説が残されているのだとか。そして、このセンデラガッパは商店街にも住んでいるのです。
アーケードの上だけでなく、郵便ポストなどに座っているときもあるそうなので、注意してみてみるといいでしょう。ちなみにかつては川内川には橋がかかっていなかったため、渡し船が対岸まで運航していたそうです。西郷さんが京に向かうときにも、この川内で渡し船を利用したそうです。この渡し船はなんと1975(昭和50)年まで運航していたのだとか。観光用でいいので復活して欲しいですね。
さて、国道3号太平橋通りから1本東側にある堀田通りに入ってみると、山形屋の裏口あたりに全長75mという短い全蓋アーケード「川内プチモールほっぴい」がありました。こちらは1989(平成元)年完成と、やはり商店街が衰退し始めたころにできたものですが太平橋通り商店街Gモールよりレトロ感であふれています。ちなみに「ほっぴい」という名前には「堀田通り」が「Happy」になって欲しいという願いが込められているのだとか。あの有名な飲み物「ホッピー」とは関係ないそうです。
ところで、川内プチモールほっぴいのある堀田通りのさらに1本東側の向田本通りは、かつての薩摩街道(出水筋)だった通りです。ここを歩いてみるとわずかながら片側アーケードの痕跡が残っていました。こちらも昔は商店街として栄えていたらしいですが現在はほぼ姿を消しつつあります。かつては南側の入口あたりに「上町アーケード街」と書かれた大きなゲート看板もかかっていたそうですが…。こんなところにも繁栄の痕跡が…と少しニヤリとしてしまいました。【2021年10月訪問】